畳のサイズが東に行くほど小さくなる理由

2012.10.22

「脱サラ大家が目指す経済的自由への旅立ち」へようこそ


畳の規格って何種類かありますよね。
京間から東に行くにしたがって小さくなる畳規格。
その答えが新聞に載っていました。


家康のせい? 畳のサイズ、東に行くほど小さい理由
日本経済新聞大阪夕刊いまドキ関西2012年10月17日付より抜粋


畳は平安時代から座具や寝具として重宝されてきた。
最初は板の間の一部に敷く「置き畳」で、貴族の位によって、大きさや厚さが異なったという。
畳を部屋中に敷き詰めるようになったのは書院造りの建築が普及した鎌倉時代以降。
6尺3寸(191センチ)×3尺1寸5分(95.5センチ)の京間が現れた。

では江戸間の由来は?
「江戸に幕府を開いた徳川家康が検地の際、より多く年貢米を取り立てるため、1間(けん)の長さを豊臣秀吉の時代より短くしたためと聞いたことがあります」


1間の長さは明治期に尺貫法で6尺で統一されたが、それまで「地域や時代によって為政者の政策が反映され、ばらばらでした」

秀吉による太閤検地までは1間=6尺5寸だったが、秀吉はそれを縮めて6尺3寸で検地し、江戸幕府はさらに6尺に縮めた。
このため、地域ごとに畳のサイズに違いが生じたのだという。


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■建築方法の違いが理由?

一方、「住宅の建築方法の違いが畳の違いを生んだ」との説もある。
関西では畳に合わせて柱を立てる「畳割り」という方法が一般的だ。
それに対し、短期間で人口が増えて住宅への需要が急増した江戸では効率化のため、柱の中心と中心の間隔を1間(6尺)とする「柱割り」が主流になり、このため江戸間の畳は柱の太さの分だけ1間より小さくなったのだという。

東京の畳店「湊屋 加藤畳店」14代目、加藤丈幸さん(48)は「住宅ごとに部屋の広さを測り、微妙なサイズを調節するのが江戸間です。『京間は大工の腕の見せどころ、江戸間は畳屋の腕の見せどころ』と父から厳しく仕込まれました」と話す。




賃貸物件の募集資料では広さを表す単位として「畳」ではなく「帖」がよく使われます。

「1坪=2帖」
なので1帖は1.65平方メートルとなります。

規格の異なる「畳」よりも正確。
といっても、適当な?仲介様は見た目で「広さ○帖」ってうたっているようにも思いますが^^;

畳の大きさにも歴史あり。
面白いです。



タグ:たたみ
posted by ゴン at 23:59 | Comment(4) | 商品 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする